「薬学の時間」で放送予定の原稿

東北大学歯学部 山田 正
日本は先進工業国の中でも飛び抜けてむし歯の多いむし歯大国です。12歳の子供のむし歯の数が、欧米諸国に比べて3倍から4倍も多いのです。その原因には次の三つが考えられます。一つはフッ素の使用が極端に少ないこと、二つ目は学校や保健所でのむし歯予防の指導が系統的に行われていないこと、三つ目がむし歯にならない代用糖を使ったお菓子が少ないことです。今回は、おもに三つ目の代用糖についてお話ししますが、そのまえに、まず、むし歯の原因について考えてみましょう。

 さて、むし歯の大きな原因が砂糖であることはよく知られています。それは、砂糖を食べると歯の表面に付着している、いわゆる「歯くそ」、正しくは歯垢あるいはプラークと言いますが、この中に棲んでいるバクテリアが砂糖を分解して酸をつくり、歯垢のpHの値を5以下に下げることから始まります。歯の表面をつくっているエナメル質は、ヒドロキシアパタイトと呼ばれるリン酸カルシウムからできており、pHが約5.5以下になると溶け出し、これがむし歯の直接の原因となります。実は、一日3回の普通の食事をしても歯垢のpHは5.5以下になります。それは、唾液中のアミラーゼがでんぷんを分解し、バクテリアが分解しやすい麦芽糖やブドウ糖に変えるためです。丁寧に歯を磨いてもプラークが完全にとれることはありませんから、ここで、歯が溶けたままでは、ほとんどの歯がむし歯になってしまうことになります。幸いなことに食事のときに分泌される唾液には強力な緩衝作用があり、また、多量のリン酸とカルシウムが含まれていますので、唾液の分泌によってプラークのpHは上昇し、リン酸とカルシウムが歯の溶けた部分に再び沈着して歯が修復されます。しかし、食事の間に頻繁に間食をしますと、歯は修復されるまもなく再び溶け出しますから、ついにむし歯の発生と言うことになってしまうわけです。ことに、眠っている間には唾液の分泌が極端に少なくなりますから、夜寝る前に甘いものなどを食べるとたいへんむし歯になりやすくなります。むし歯は夜つくられるといっても良いほどです。

 このようにしてむし歯ができますので、間食には、酸をつくる材料にならずプラークのpHを落とさないものを食べるようにしてむし歯の予防をしようという試みがあります。それは、後に述べる国際的な組織、トゥースフレンドリー協会の活動です。

 さて、最近、むし歯に関連してキシリトールが話題になっています。キシリトールは白樺やトウモロコシの芯などを原料としてつくられる甘味料で、糖アルコールと呼ばれるものの仲間です。糖アルコール性の甘味料はこれまでもチュウインガムやその他のお菓子にも多く使われていますが、これらのものは、いずれもむし歯を起こしません。ソルビト−ルあるいはソルビットと呼ばれる糖アルコールなどは、歯磨のなかに35%も含まれています。多くの糖アルコールは砂糖に比べて甘味が少ないのですが、キシリトールは砂糖と同程度の甘さがあり、むし歯にならないおいしいお菓子をつくるためには優れた性質を持っています。しかし、値段が高いこともあり、そのむし歯に対する効果について過大な宣伝が目立つのは困ったことです。  例えば、試験管内で実際のプラークとは全く違った条件で行った実験の結果を引用して、キシリトールがソルビト−ルやマルチトールなどの糖アルコールよりも酸になる量が遙かに少ないような宣伝が行われていますが、実際に歯に付着しているプラークで行った実験では、これら糖アルコールは全て歯垢のpHを下げず、これらの間に差はありません。事実、アメリカの食品医薬品局、通称FDAと言われる政府機関が、昨年8月に発表した法律でも、また、EUの委員会でも、キシリトールとその他の糖アルコールの間に、むし歯予防の効果に差を認めていません。

 また、キシリトールはミュータンス菌を殺すのでむし歯を予防するとも宣伝されています。確かに、長期にわたってキシリトール入りのチュウインガムを食べるとミュータンス菌が減るとの報告はあります。しかし、ミュータンス菌の数とむし歯の発生頻度とはあまり関係がなく、むしろ食生活の方がむし歯の発生に関係が深いとの有名な論文が昨年、発表されています。ミュータンス菌の減少すなわちむし歯の減少と考えるのは短絡的すぎます。そもそも、ミュータンス菌が絶滅してもむし歯は絶滅しないのですから。

 キシリトールには抗ウ蝕誘発性、すなわちむし歯を起こす力をうち消すような効果があるようにも言われています。しかし、90%のキシリトールでも10%入っている砂糖のむし歯を起こす力をうち消すことはできません。このようなものを抗ウ蝕誘発性と呼ぶことは、消費者に大きな誤解を招くものとして、世界の研究者の間では「抗ウ蝕誘発性」という言葉は使うべきでないとされています。現に、「キシリトール配合」と袋の表面に表示され、いかにもむし歯にならないような印象を与え、実際には砂糖の入っているお菓子も市販されています。  さらに、50%以上のキシリトールが入っていないとむし歯予防に効果がないような宣伝もあります。これにもあまり科学的根拠がありません。たとえ90%のキシリトールが入っていても、10%の砂糖が入っていれば何の効果もないわけですから。

 これらの間違いは、お菓子の成分だけからむし歯になるかどうかを判定するところにあります。あるお菓子がむし歯の原因になるかどうかは、その中に何が入っているかではなく、お菓子全体として評価しなければならないのです。

 現在のところ、食品全体としてむし歯になり易さを評価しているのは、国際トゥースフレンドリー協会の認定している歯が傘を被ったマーク、すなわち「歯に信頼マーク」のついているものか、厚生省が行っている特定保健用食品のマークが付いて、しかも歯に関する表示のあるものしかありません。たとえ、キシリトールが入っていてもこれらのマークがついていなければむし歯にならない保証はありません。このように、食品全体として評価しなければならないと言うことが徹底していないために、隠し味として塩が少量入って、砂糖のたっぷり入った羊羹に、「むし歯にならない塩入りの羊羹」と書くのと似たような表示がされるわけです。

 ともあれ、キシリトールそれ自身はむし歯の原因にならない甘味料です。食品へのキシリトールの使用が許可されたことで、おいしくて、むし歯にならない甘いお菓子がたくさんできるとすれば、素晴らしいことです。しかし、キシリトールはむし歯の予防に抜群の効果があるミラクルシュガーではありません。むし歯を予防するためには間食にキシリトールなどで甘みをつけたむし歯の原因にならない、すなわち「歯に信頼マーク」のついたお菓子を選ぶだけではなく、フッ素入りの歯磨きで、丁寧に朝晩歯を磨くこと、定期的に検診を受けて、むし歯予防の指導を受けることなどを併用することが大切です。これらのことを平行して実行してこそ、はじめて効果的なむし歯の予防ができるのです。キシリトールは素晴らしい甘味料ですが、決してむし歯を治すわけではありません。このことを十分に理解して、フッ素を使って歯を磨くこと、夜寝る前に食べないなど食べ方の工夫をするなど、簡単な日常的な注意がむし歯を予防するための重要な手段となります。歯がなくなってから高価な入れ歯やインプラントをするよりも、ちょっとした日常の注意で歯を長持ちさせることができます。これにより、80歳で20本の歯をもつ8020が達成され、生涯、食べる楽しみが保証されます。


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